「神の子供達はみな踊る」村上春樹

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

阪神大震災の後に 地震をキーワートに書かれた連載小説。その5編にもうひとつ書き下ろし短編が加えられている。

あとから加えられた1篇は 他の5編と違って 明るい希望が描かれている。
それがないと あまりに救われないままかもしれない。

でも どこかそれが空々しいように 少し感じてしまったのは 最近の大地震によって 変化した感覚のせいなのか。

5編の話しは あるがまま ぽん と その世界へほうりだされたまま 終わっている。
でも 私は そこにもちゃんと救いはあると感じたし そのほうが ほんとうだと 思った。

P173 「何かをわかっているということと、それを目に見えるかたちに変えていけるということは また別の話しなのよね。」

わかっている ということと それを かたちに変えていける その間には 時としてものすごく
おおきな越えられない壁のようなもので隔たれられていて、その壁の果てさえ見ることができない。

(壁といえば 村上春樹がインタビューで 壁側ではなく 壁にぶつけられるられるタマゴでありたい
と 話していたな。)

それでも なんとか わかっているから、わかってしまったからこそ、その壁を越えて 
または破壊して または 透視するようにすんなりと通りぬけて 向こう側へたどり着きたいと思う。

壁に手をあてて押すと 同じ力で押し返される。作用と反作用。
壁の前では、自分がぶつかる力で自らを破壊してまうことにもなるかもしれない。

そこから先へ進める方法を 考え続けている。
 

金の輪

金の輪

金の輪

夏休みに入って 絵本読み聞かせもしばしお休みなので なんだか物足りなく感じるこの頃。
いつもは読み聞かせ用にと絵本を選ぶのですが 今日は 個人的に気になっていた絵本を調達。

この童話は未明の童話集で始めて読んで ものすごく衝撃を受けたのでした。
小川未明といえば 「あかいろうそくと人魚」が有名ですが そのほかにもかなりの数の童話があります。
その中でも このお話ほど 印象に残ったものはありません。

童話集でそのイメージが強かったので 絵本にはどういう感じで仕上がっているのか 気になったし
このお話が 一冊の絵本としてなっていたことも 驚きでした。
この絵本は幼い子の死を描いています。 題材としては戯曲「魔王」と同じ。

童話集で読んだときは 金の輪の音が頭の中にはっきりと聴こえてきて 
ほんとうにそれがいつまでも残ってしまいました。

絵本となった印象は シンプルで明るい色彩の一見とてもかわいらしい姿をした絵本でした。
それが どうも私には この物語に似つかわしくないように思えて
もっと 違った姿で描かれるものなのでは、、という違和感が残りました。

ひとりごとのように なんでこのお話にこんなかわいらしい絵なんやろ、、と
納得いかないで話していたら 次男が そういうお話やし そうしてあるんちゃうか と 言いました。

七歳までは神の子 昔は そう言われて その年齢に達せず亡くなった子供は
死の国へいくのではなく 生まれた場所へもどる。。 と考えられていたそうですが

そうとらえるとしたら こういう形になったのでしょうか。。

宮澤賢治の童話でも雪の中で亡くなった弟の話しがありましたが
あのお話を思い出しました。

「死ぬ気まんまん」 佐野洋子

死ぬ気まんまん

死ぬ気まんまん

今年71歳で亡くなった著者の最後のエッセイ

佐野洋子との出会いは 今から18年ほど前 絵本専門店で 「百万回生きた猫」を
偶然手にした時。
何気なく立ち読みしていて、身動きできなくなり その場で号泣しそうになるのを
懸命にこらえながら 立ち尽くしてしまった。あのとき衝撃はあまりに強烈で
その後の私に大きく影響を与え そしてそれは 現在までも ずっと続いている。

その出会いから 彼女のエッセイに出会い その時々に 心に迫るものがあり
その文章に 寄り添うことで どれだけ力をもらい、またいらない力を抜くことができたか。。

そうしてきたけれど  とうとう 最後のエッセイを 今読み終えてしまった。

最後近くで不思議なことが起こった。

最初の絵本との出会いと酷似した あの衝撃が18年を越えて 私にやってきた。
その時の 状態がリアルに再現されたのです。

はじまりが あるものは おわりがある。(マトリックス

ああ、ここが 終わりの場所。

もちろん 佐野洋子の作品は不滅だし これから後々読み継がれて 
生き生きと そのパワーは残り続けると思う。
そして私も また今後も何度も読み返し その時々に新たな発見もあるとおもう。

でも それはまた これからの 物語。

今 ここで 私の中の佐野洋子の物語が、終わった。

島田ゆか&ユリア・ヴォリ絵本原画展 -バムとケロ、ぶた(SIKA)の世界-

バムとケロの絵本は大好きで あの細かい絵には ほんとに 親子で楽しませてもらっていたので
この展覧会は 是非とも観たかったのです。
 今まで出版されてた絵本の原画がほとんど来ていたとおもう。

感激の対面でした。で まず 驚いたのが 原画の小さいこと。あれほどまでに細かく描きこまれて
いるので かなり おおきな原画だと思っていたら 絵本とほとんど変らないくらいかも。
一枚一枚 顔をくっつけるようにして 長い時間かけて観ていったので 気がつけばかなり長居していました。

うれしかったのは いつも登場するマトリョーシカの現物や ミニカー。
また、キャラクター発案の元になった落書きなどが展示されていて
ああ、これか。。と

 使われている絵筆。 原画をじっと見ても筆跡がほとんど
わからないくらいで かなり細い筆を 一作品に十数本消耗されるとか。。。納得でした。 

絵本が出来上がるまでの 過程やインタビューのビデオも とてもよかった。

もう1人のユリアさんの作品は知らなかったのですが 島田さんとはまた違った魅力で
生き生きと楽しい絵でした。バイタリティがあり 絵本についての語られていた言葉は
私にとって 啓示のように 心に響くものがありました。

絵本の世界は素晴らしいです。その現場に近づけたようで とても楽しめました。

妖怪画

毎年開催される妖怪祭りでは 妖怪画を募集されます。
市内の保育園 幼稚園 小 中学校までの部と 高校生以上の一般の部があり
 以前は我が家の子供達も応募していましたが 今年は 子供達は もうええわ ということで
私だけで応募しました。
今回は優秀賞をいただきました。

こういう怖い題材の絵、普段は描かないのですが、子供の頃から こういう絵は好きでした。
今でこそ 学校の怪談シリーズなど 子供向けの怖い話しは沢山出ていますが
私の子供の頃は ほとんどありませんでした。それでも 本屋さんで見つけると
買ってもらっていました。今はたぶん廃刊になっている本ですが、よくできた本だったと思います。
ただ 怖がらせるような内容ではなく 語り継がれた、どこか悲しく深いお話でした。

また 小学校の低学年の時 近所の商店街に古本屋さんがあり そこに古びた漫画本がたくさんあり
梅図かずおの へび女 や つのだじろうの 恐怖新聞 など 怖いながらも 立ち読みしに 通っていました。
狭く薄暗い 古い棚の間にこっそり入り込んで そうっと読むそれらの漫画は その空間そのものが
恐ろしく、でもたまらなく魅力的だったのを覚えています。

幽霊画では 円山応挙の それを 数年前に実物を見ましたが
あれは ほんとうに ぞっと背筋が冷たくなる 心を射抜くような眼差しに
しばらく動けなくなるほどでした。

ただ 恐ろしいだけでない そういう物の怪 妖怪 幽霊は
とても深い悲しみが 底に感じられるものだと思います。

本の記憶

最初の記憶は何だったか。

私は幼稚園児で 幼稚園の部屋の片隅に置かれた本箱にある本を読むのが楽しみだった。
誰にも邪魔されず そこで本を読んで居たかった。

ある日読み始めた話は 他の絵本よりも長く その場所にしゃがみこんで
 その話に引き込まれていった。 不思議と絵はほとんど覚えていない。
淡い色彩が微かに残っているだけ。それもあいまいな記憶。

でも そこで私を貫いたのは その物語のストーリーだった。
そのお話は 他の絵本とは かなり違っていて その魅力に
下腹がきゅっ と痛くなるほど 身が捩れるほど 奥深くに入ってきた。

多分何回かに分けて 読み進めて行ったようにおもう。
その時の私の読解力では タイトルも 作者も 認識できなかった。

その後引越ししたのか その絵本に出会えなくなってしまった。
でもそのストーリーだけは 鮮明に覚えていて そして
子供心に もう一度読みたいから なんとか 覚えていて
どこかで再会したいと 願っていた。

こういうストーリーで 。。と 周りの大人にきいてみたけど わからなかった。
まあ 幼稚園児の世界はものすごく狭いので それ以上知る
方法は なかったのだと思う。

その物語に再会で きたのは それから何年も経った 小学校の何年生か。
宮澤賢治 という名前を知ったのは 教科書に載っていた
やまなし だったかとおもう。あのお話も不思議でおそろしい。

その頃に賢治の童話をいくつか読んでいるうちに あの
捜し求めていた話しに 再会できた。

それは

注文の多い料理店」だった。

幼稚園の年少くらいの子供にしたら かなり衝撃的な物語だったと思う。
それでも、 何故かとても惹かれるものが 幼い心にあった。
その後何年も心に深く刻み込まれるほどの 物語。
その出会いは
数十年を経た今でも 忘れられない 鮮やかな記憶。 
神秘な時間だった。

現代の日本画  中島千波・畠中光享


http://www.manyo.jp/gakugei/H23-nakajima,hatanaka.htm
畠中先生は学生時代の恩師。日本画家であり、インド美術の研究家でもある。
昨年京都の大谷大でインド美術のコレクション展を開催されていたときに 先生に十数年ぶりにお会いできた。

今回は先生の講演会があり ちょうどその日に行ける事になったので 同級生として日本画を学び
現在は画家として活躍している友人と行ってきました。

奈良の万葉文化館は飛鳥寺の近くののどかな風景の中にある立派な建物。

その広い館内に ゆったりと作品が展示されていました。
会場には畠中先生もおられたので少しお話することができた。
北海道から九州まで先生のファンの人が今日の講演会を聴きにきているそう。
会場でもたくさんの人から声かけられて囲まれておられました。

先生の作品は今まで1点ずつは観たことあるものがいくつかあったが
近年の大作が一同に集められていて見ごたえがあった。
中島千波氏の作品は 院展時代に多分目にしたことはあったと思う。
日本画らしい花の作品と そこから発展形の作品。
今回人物がモチーフのデザイン的な作品が 面白かった。

二人の日本画の作品以外に 先生のコレクションである絵画も展示されていた。
イタリアルネッサンス時代の小品。インドの細密画など。
その作品は さすが 先生のコレクション。どれも魅力的だった。

講演会は会場がほぼ一杯。私は昔学生の頃先生のインド美術の講義をとっていたが
それを聴いていた頃が 懐かしく思い出された。内容は面白かったが
でも居眠りしていて名指しで怒られたこともあったな。。(かなりアクの強い先生でした)

講演会のしょっぱな 「ここは文化館 という名前であるが 私は文化 という言葉に
いいイメージがない。ものすごくうすっぺらで価値のないもの。。文化住宅 文化なべ。。」
先生らしい。。
 私が習っていた頃からもう20年以上経っているけど、お変わりない。

学生時代を共に過ごしてきた友人とこの展覧会を観にいけてよかった。
しっかりと画家の道を歩む友人に 現代の日本画のいろいろな話もきかせてもらい
また 懐かしい思い出話しもしつつ。
私もこれから 私なりに頑張っていこうと思いました。