*[絵本]『ねずみ女房』ゴッテン作

ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ)

ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ)

普通のねずみとは ちょっと違ったねずみ女房。ほかのねずみの奥さんと 同じように生活しているけど でも 何かが足りないと 感じている。そんなねずみ女房に 夫は 「これ以上何がほしいというのだね?」 とたずねる。
ある日 ねずみの住む家の人が捕まえた鳩をかごに入れて家に置く。 その鳩とねずみ女房の交流が生まれる。鳩は外の世界の話を ねずみ女房に話してきかせる。外の世界に戻りたい鳩は かごの中で弱ってゆく。そしてねずみ女房はこの鳩を逃がしてやる決心をする。そうしなければいけないと突き動かされて。
そして、外の世界の話を伝えてくれる存在は飛んでいってしまうが その時
ねずみ女房は 今まで観たこともない 外の星を見つける。
そして、ねずみ女房は星を見た〈大人が読みたい子どもの本〉

そして、ねずみ女房は星を見た〈大人が読みたい子どもの本〉

この本に取り上げられていたので この本を知ったのですが 清水真砂子さんが
的確に このお話の魅力をあますことなく ここに書かれています。
詩人の矢川澄子は ねずみ女房を 『堂々たる姦通賛歌』と評している。
でも 確かにそういう面もあるかもしれないけど もっと 遠くの深みを 
この本は示している。
鳩を 逃がさなかったら また 鳩と一緒に逃げてしまっていたら
それは ただの通俗小説になっていただろうと。

この結末だからこそ 読む人の心の奥を揺さぶるものがある。ねずみ女房の心境に
打たれるものがある。

 くいしんぼうのあおむしくん

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

二年生に読みました。このクラスは ちょっと落ち着きがなく ざわざわすることが多いのですが このお話には みな釘付けでした。

まさおくんの帽子に ある日 空と同じ色の青い虫がくっついて 帽子をかじっていました。
あおむしを家に連れて帰ると まさおくんのおやつをたいらげたあおむしくんは 次におもちゃやまで食べてしまう。
最初はちいさくてかわいかったあおむしくん それが つぎつぎといろんなものをたいらげて
おおきくなっては また 食べて。。 ついに まさおくんのお家を パパやママごと食べてしまい。。

最初は笑いながら見ていた子供達が だんだん 不安な表情になり 中には いやや! と叫ぶ子も。。
低学年の子供達って ほんとうに全身でお話に入り込むことができるのですね。。

なんととシュールなこのお話。ちょっとブラックで でも ラストは ほっとして、でも とても不思議な感覚が残る 優れた作品だと思います。

この あおむしは この世の中の何かを表してるようでもあります。。 

『武将が縋った神仏たち』安土城考古博物館


http://www.azuchi-museum.or.jp/aki23.html
明智光秀が頼みとした愛宕権現をはじめ、八幡大菩薩飯縄権現妙見菩薩毘沙門天、摩利支天など、戦勝祈願に特化した神仏を軍神と呼んでいます。
命がけのいくさを強いられた武将達。おのれ一人の生命だけでなく、一族郎党全ての命運のかかった合戦に際して、彼らは敗戦の恐怖を振り払って必勝を期すために、さまざまな神仏にその加護と武運長久とを祈願しました。
  本展は、このような信仰にスポットを当てた全国初の特別展』 解説より抜粋

駅でこのポスターを見て その勇ましく美しい姿に引き寄せられました。
本来は穏やかで慈悲深い地蔵尊が いかめしく腕を振り上げ武器を携えていたり
力強い姿の仏達の中には 惚れ惚れするほど美しく魅力的な表情のものもあった。
先日観た浮世絵もそうですが 日本の木彫の技術はほんとうに繊細で素晴らしいと
あたらめて思いました。
なめらかな線の仏像が多い中 ひとつ 荒削りでありながら
とても繊細で美しい姿の仏があった。立ち姿がやわらかくしなやかで しばし見とれてしまいました。

死にぞこないの青 乙一

死にぞこないの青 (幻冬舎文庫)

死にぞこないの青 (幻冬舎文庫)

映画が面白かったと聞いて 予告だけは観ました。
そして 原作を読んでみようと 借りてきました。

小5のマサオはちょっとした行き違いから新任の先生から嫌われ そしてクラスの中でも居場所を失ってゆく。そんなある日 マサオの前に死にぞこないの青い顔をした少年が姿を現すようになる。。。

この主人公のマサオが 徐々に学校の中で孤立してゆく様がリアルで胸が苦しくなる。
かなりひどい状況に追い込まれていても そこから逃げ出すことができすに 身動きがとれなく
なる様子 その恐怖は それに似た体験をしたものにしかわからないのではないか。。

マサオの追い詰められた内面が 死にぞこないの青 を生み出す。
拘束され口も縫い閉じられた姿の青は あまりにも痛々しいマサオそのものの姿。

マサオが極限まで追い詰められたとき 青は動き出す。
その時、マサオも動き出す。
そして この極限状態からそれを越えてゆく。

映画では 青は女の子の姿で描かれていたので
まったく別物の設定になっているのだろうか?
そしてマサオの復讐の手助けをするかのような描き方に見えた。
それなら この小説の本筋とは違ってしまうのでは。。

映画も観てみようと思う。

破天荒の浮世絵師 歌川国芳展

没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳

開催期間:2011年09月06日(火)〜2011年11月06日(日)

【前期展示:豪快なる武者と妖怪】
9月6日(火) − 10月2日(日)
【後期展示:遊び心と西洋の風】
10月6日(木) − 11月6日(日)

後期の展示を観にいきました。
前期の 武者と妖怪が観たかったのですが。。
以前に 伊勢丹で 浮世絵猫だらけ 展 で 妖怪猫は観ていましたが。。
http://d.hatena.ne.jp/mitsu5/20100618/1276871278

でも 後期の 西洋の絵画を取り入れた作品や きつねたたぬきが描かれたものや
しゃれっけ 遊び心の作品は 面白かったです。

お上からの様々な禁止令や弾圧にも負けず 新しい方法で主張しつづけた国芳
国芳を慕う弟子が数多くいたというのもうなづけます。

それにしても 国芳のデッサン力は凄いな と思っていたら
やはり無数のクロッキーのようなものをしていたようです。
才能の上の更なる努力が このすばらしい作品を生み出したのですね。

そして その生きた繊細な線を 生きたまま、版木に彫り それを刷る、
現在では再現できない 神業的な職人芸が支えていた 浮世絵って やはり世界に誇れる芸術品だと思いました。

竹内淳子個展 インドの話し チベットの話し

京都 堺町画廊にて 11月2日ー11月6日

学生時代同じ教室で日本画を4年間一緒に学んだ 友人の個展に行ってきました。
私が初めて画廊でした日本画の展覧会は 彼女と2人でしました。 

その後私は日本画から離れていましたが 
彼女はチベットをテーマに 20年以上ずっと描き続けています。

この展覧会も会場選びの時から話しを聞いていたので ずっと前からとても楽しみにしていました。
今回は 手がけている冊子の挿絵作品や チベットの絵本の原画展示もあり 
今までの大きな作品が主だった個展とは 少し赴きも違っています。

古民家を改装して作られた暖かなでシックな雰囲気の画廊が チベットの鮮やかな色彩で
彩られ 独特の世界が広がっていました。

私が観にいった日には チベット音楽のミニライブもあり しばし チベットの世界に
浸ることができました。 
日本から遠い国ではあるけど 文化のルーツがそこにあったりするからか
どこか懐かしい響きとも感じるのでした。

個展を開催する というのはとても大変なことです。
でも そこには とても大きな意味があり かけがえのないものを得ることができます。
その人の 人生をかけて積み重ねてきたものの集大成。それに触れることが
観にいった者の 喜びです。

こんなふうに 生きている友達がいることが嬉しいし 励みになります。
そして 私も 私にできることで 頑張らなくては! と パワーをいただいてきました。

東山 魁夷 青の風景

東山魁夷 青の風景

東山魁夷 青の風景

 東山 魁夷 の作品は 中学生の時 教科書にエッセイと共に紹介されていて
その時知りました。
その文章と絵は とても印象に残っていました。

その後自分が日本画を学ぶようになり 絵の世界に入って行くと東山魁夷 の絵は
なんだか物足りなくて 興味の対象ではなくなっていきました。
絵描きの学生達にとって もっと刺激的な 生々しい作品が 魅力的で 
宮内庁に買い上げられるような 大家の作品は 敬遠していました。

その後
いつのまにか月日は流れ 意識も変化していったのか
先日 この本が 図書館で平置きされていて このタイトルのない表紙の絵に
とても惹かれて 手に取りました。

この本には 描かれた年代に沿って 代表的な作品が 簡素な紹介文と共に
載っています。

その どれもが 今 とても 心に染みてくるのです。
私が いつも観ては心奪われている 美しい風景の その魅力が
そのままに描かれている と 感じます。
そこには 風景を通して 語りかけられてくるもの。
言葉にならない言葉が ありありと伝わってくるのです。

そして この表紙になっている風景は 絶筆であり
それまでは どこかに存在した場所を描いてあるのですが
これだけは 氏の夢の中の風景だそうです。

膨大な各地の風景を描き続け そしてたどり着いたこの青の風景。
氏のたどり着いた 極楽の天上世界のように思いました。