搬入修了

50号の公募作品が、完成し、搬入が済みました。
この作品のために約半年間、週末は制作に実家へ通ってきました。
長年のブランク、絵を描くこと、今までの道のり、これからのこと。。いろんな迷いや躊躇もあったけれど、でも、それ以上の、なにかの力に導かれるように、この絵を描きすすめてきました。
現役で活躍中の、日々絵を描き続けてきている人達が目指す、狭き門の公募に出すのは、無謀なチャレンジかもしれませんでしたが、
年齢制限、大きさ、そして過去の作品から、画家の友人が勧めてくれ、自分でも納得して決めました。
絵の具の使い方は日本画のテキストを見たりして思い出しながら、忘れてしまっていた箔の扱いは友人に教わり・・・。
果たして、日本画50号の作品として、完成させることができるのか。。 そういうレベルの心配もあったのです。
友人の完成間近のアドバイスは「隙をみせないこと」
学生時代にやってしまいがちな失敗で、スケッチや小下絵が、しっかりできていないままに本画にかかってしまい、ある程度までは出来上がるのですが、仕上げ近くになって描き進められなくなってしまうことがありました。(あわてて追加に写生に行ったりしましたが)結局それが隙になってしまうのです。
それは身にしみてよくわかっていたので、下準備は、かなり時間をかけました。実際50号の本画にかかったのは後半3ヶ月ほどでした。
それでも、最後の最後まで、もう少し、こうしようか、ああしようかと、迷いながら描いているところも多かった。
でも、迷ったときは、立ち止まって考えていると、、こうしなくては、、どこからか答えがきてくれていたように思います。
実際、画像を見てもらって、友人たちにアドバイスをいただいていたし、時々覗きに来る家族の一言で、ハッと気がつくこともありました。
筆を動かし、描いていたのは私1人ですが、その私を支えてくれていた周りの人たちも含めて、この絵か決して独りきりの作品ではないように感じています。
完成したとき、たくさんの人たち、そして目に見えない何かの力に、心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。
その時の高揚した気分は、以前経験したことがある、とふと思い出したのです。初めて出産した夜、あふれてきた胸いっぱいの想い。
そのときの、言葉で言い尽くせない気持ちが、ありありとよみがえってきたのでした。

日本画再スタートは、はじまったばかりです。ようやくスタートラインに立てたと思っています。
完成した作品は、もう私の手元から離れ巣立ってゆきました。 また、次の作品にむけて動き始めます。